2016年02月16日

人間万事塞翁が馬


中学生の時に気になっていたのは女子

当時は恋愛感情という意識は全く無く、ただの友達だと思っていた。

親友になれたらいいなぁ、という程度。


その女子とは仲が良かったと思う。

結局のところ、親友とまではいかなかったけれど。


ある日、クラスの男子から告白されたと、その子からメールが来た。

俺とその男子は仲が良く、メールをしたり漫画やゲームの貸し借りをしたりしていた。


なんとなく分かっていた。

その男子は俺が好きな子のことを好きなのだろうと。

メールでのやりとりや話の最中、その男子の口から頻繁にその子の名前が出てくる。

勘だったけど、根拠のない自信があった。


「あいつ、○○(気になる子の名前)のこと好きだと思うよ」

なんてその子に言ったことがある。

「ないない」なんて笑っていたけれど、俺の勘は当たってしまった。


結論から言うと、その二人は付き合わなかった。友達でいるという選択をしたのだ。

しかしその後二人の関係はぎくしゃくしていて、仲を取り持ったのは俺だった。

今でも覚えている複雑な気持ち。

嫉妬もあった…だけど自分でも驚いたのは、悔しかったこと。

そして羨ましかったこと。


「俺が男だったらな」

「あいつは男でいいな、羨ましい


なんて思った自分に驚いたし、こんな風に考えるのは駄目だ!と気持ちを掻き消した。

正直、二人が付き合わないことになって安心した自分もいて、友達として最低だなと感じた。


気になる子から相談を受けるのは嬉しい。ある程度の信頼があるということだと思うから。

しかし、恋愛相談となると話は変わってくる。

その子の力になれるのは嬉しいが、気になる子の想い人の話を聞かなければならない。

そして向こうの恋愛対象に俺が入ることは決して無い。


「ノンケに惚れるのは辛いからやめておけ」なんて、今じゃよく見る言葉ではあるが、当時そんな言葉を知らない俺はどっぷりとその沼にはまっていた。


こんな気持ちを抱えていても、自分の性自認は曖昧でよく分かっていなかった。

性自認って言葉すら知らなかった。

服は男物を着ていたが、髪は長くポニーテールにしていた。

髪は短くしたい気持ちはあったが、バッサリ切って周りに何か言われるのが嫌だという気持ちが強く、なかなか踏ん切りがつかなかった。


そんな中途半端な格好をしていても、友達と歩いていて彼氏に見られたこともある。

それはそれで嬉しかった。


性同一性障害、FTM、性自認、同性愛、ノンケ等々…

全く何も知らなかった当時の俺は、もう本当に悩みまくっていた。

自分自身のことが分からなくて、自分はおかしいんだ、変なんだと思っていた。

これまでのコラムで何度も書いてきたので、「もう分かったよ、自分のこと変だと思ってたのね、はいはい」と思われるかもしれないが、もうずっとそう思って生きてきたので、これからもしつこく書きます()

自分の葛藤に答えが出るのはもう少し先の話。



123456.jpg

posted by ごんべえ at 00:00| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

噯気にも出さない


小学校を卒業し、いよいよ中学校へ。
中学校に上がると、服装までもが男女別になっている。
スカートを穿かなければならないことが、とてつもなく苦痛だった。
実は小学生の頃「スカートを穿くくらいなら死んでやる」と遺書を書いたことがあった。
(包丁を手にしたところで親が帰宅した為、断念し未遂に終わったのだが)

今は国から学校に「性同一性障害の生徒に対し配慮が必要」とお達しが出る時代になったが、当時はそこまで理解はなかった。
学校に女子用のスラックスはあったものの、それを着用する女子は少なく、着用している女子は同学年のみならず、上の学年からも下の学年からも「何あの人。おかしいんじゃないの?」と陰で言われていた。
女子のスラックス=性同一性障害では決してないが当時、周りのそんな声を聞いていた俺にはスラックスを着用する勇気も、ましてやスラックスがいいと親や先生に言う勇気もなかった。

スカートは嫌で嫌でたまらない。しかしスラックスも着用できないという中途半端な状態だったが、結局スカートで学校生活を送ることにした。
自分が我慢すればいい。自分の気持ちに蓋をして、見ないようにして生きていけばいい。
そう思っていた。
きっと性違和のない人から見たら、スカートを穿くかどうかなんて「そんな大袈裟なこと?」と笑われるかもしれない。
それでも当時の俺にとっては大問題だった。

そのときから「男として見られたい」と思っていたわけではない。
自分自身がなんなのか分からない、でもどこか他人とは違うのだろうと思っていた。
普通の女の子はスカートが嫌だとは思わないだろう。
でも俺はそれが嫌で仕方がない。

このときまだまだ性同一性障害なんて言葉は知らなかった。
だから自分が分からなくて、周りの目が怖かった。
自分の気持ちから目を背けていれば楽だと思っていた。
それで全てが丸く収まるのだと。
女の子を演じ、スカートを穿いて過ごしていけばいい、ただそれだけで周りから何も言われることはない。
幼稚園より小学生より少し大人になっても、結局少しも進んでいなかった。

この時期の恋愛はというと、自分では気付いていなかったが同じクラスの女の子のことが好きだったのだと思う。
特にアプローチするわけでもなく「親友になりたい」くらいの気持ちだったが、その子の周りの友達に嫉妬のような感情を抱いていた。
自分の性自認についても恋愛に関しても、見て見ぬふりをしていた。


123456.jpg



posted by ごんべえ at 00:00| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

奥歯に物が挟まる


自分のことはなんとなく「周りと違う」と思っていた。

でも周りと違う自分を認めることができなかった。


幼稚園を卒園し、小学校へ。



小学生になると、男女で分けられる機会が増える。

ランドセルの色、学習机の色、男女で違う授業の内容。


そうすると、今まで気にならなったことさえ気になるようになってくる。



まず小学校に上がって嫌だったことは入学式の服。


フリフリのかわいいスカートにレースのついた白い靴下、色鮮やかな髪飾り。

一人娘の晴れ姿に両親は大喜び。



なんて言えばいいのだろう。

あの言い表しきれない絶望感。


自分の気持ちと反対に盛り上がる周囲。

誰にも理解されない孤独。虚無感。


当時、性同一性障害なんて言葉を知らない俺は、自分がよく分からなかった。

明確に「俺は男だ!」と思っていたわけでもない。

とにかく周りに合わせようと必死だったように思う。


赤いランドセルも自転車も、ピンクのジャージも我慢した。

女の子でいなければならないから。

それが俺に与えられた役だから。



しかし小学校高学年に上がると、男女で分けられる機会は目に見えて増えていった。


男女別の授業なんてものもあったし、異性を意識し始める年頃なのか男女混ざって遊ぶものは少ない。

「ごんべえちゃん、なんで男子と遊んでるの?」と、友達から言われたこともある。



小学4年生の終わり頃、生理がきた。

事前に何も知らなかった俺は混乱。


母親に生理とは何かを教えてもらって「一人前の女の人になったんだよ。子どもを産むこともできるようになったの」と聞いて

「え、俺子ども産める体なの!?」とさらにパニック。

自分には全く縁のないことだと思っていた。


こうして順調に女になっていく。自分の心は置いてきぼりだ。



当時の恋愛関係はというと、恋愛対象は女の子だったと思うのだが昔の自分はそれに気が付かなかった。


漠然と「この子の一番になりたい」というような思いがあったが、「一番の友達になりたい」「親友になりたい」と自分の中で変換されていた。



小学生の頃、性違和はまだそこまで強くなかった。

性違和が強くなり、葛藤するのはもう少し先の話。




123456.jpg

posted by ごんべえ at 23:18| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。